オススメ度 | A |
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原作 | コミック |
ジャンル | 戦記 |
放送情報 | TVアニメ(2018年夏)/全12話 |
ストーリー | |
設定 | |
世界観 | |
感情移入 |
原作コミック未読。
TV放送にて鑑賞。一気見。
舞台は鎌倉時代1274年の対馬。
中国大陸を支配したモンゴル帝国およびその属国の高麗王国は日本へ攻め入るために準備をしていた。
高麗王国(朝鮮半島)と九州の間に位置する対馬へ流人が辿り着くことから物語は始まる。
主人公は、流人の一人、朽井迅三郎(くちい じんざぶろう)。
こんばんは。時文です。
TVアニメ『アンゴルモア 元寇合戦記』最終話まで観賞しました。
13世紀、大帝国・モンゴル帝国が日本へ侵攻してきた「蒙古襲来」をモデルにしたフィクション。
原作は『ComicWalker』に連載中のコミック。
アニメ放送期間中に、10巻が刊行。
1巻から最新刊の10巻までをアニメ化。
鎌倉時代をアニメで見るのは私は初めてです。
#そもそも私の視聴履歴は少ないですが(汗)
さらに「元寇」のみを舞台にするのは、アニメ(コミック)に限らず時代劇や本でも、私は経験したことがありません。
それをアニメで見ることができるとは、アニメ好きの私にとってうれしいですね。
もちろん、フィクションなので、史実と違う点があることは加味して見なくてはいけません。
#学術書として捉えないので、私はアニメ(コミック)に史実通りかは求めません。
ところが、フィクションとは言え、本作は相当の歴史考証がされた様子が伺えます。
「本当にこんなことがあったかも!?」と思わせるだけで、私には充分。
エンターテイメントとして作品を楽しみました♪
それでは、TVアニメ『アンゴルモア 元寇合戦記』感想レビューをどうぞ。
KADOKAWAanime
目次
はじめに
過去より未来が好きな理系なので(←ただの言い訳)
元寇なんて、すっかり記憶がありません。
割と目にする戦国時代以降は、それなりに覚えているのですが・・・
失礼ながら、フィクションで取り上げるには鎌倉時代はドラマ性がないと思ってました・・・
元寇なんて、正直「モンゴル帝国に2度襲来されたが、神風によって云々」程度の知識しかありませんでした。(お恥ずかしい)
しかも作品の舞台は博多ではなく、対馬島。
なんともスケールが小さく思えてしまいました。
ところがどっこい、対馬島で、こんなに熱い攻防戦があった(と思わせる)とは!!
対馬島という、小さい島に、大軍で攻め入られるなど有り得ない。
が、実際には、日本へ攻め入ろうと、玄関口である対馬島へ攻め入った史実がある。
モンゴル帝国軍(蒙古軍・高麗軍)の兵力は船100から数百。
兵士は1万人から数万人。
対して、対馬島の兵力は記録に残っている限りでは80余り。
#作品内では300程度はあるようです。
これでは一溜まりもない。
史実によると、対馬は約7日間で制圧された。
しかし、反対に言うと7日間は、この多勢に無勢を逃げのびた。
そこにドラマがある。
さらに、当時の書物「八幡愚童訓」に記されていた
「対馬に蒙古と戦った流人たちがいた」
という一文から、独創的なキャラクターと物語を作り出している。
1話冒頭からこの作品は只者ではない、軽く見るものでない、と感じさせてくれる。
本格時代劇、戦を扱っているので、大勢が殺されます。
元寇はとてつもない大軍に攻め入られるので、なおのこと。
苦手な人はご注意を。
日本の歴史を変えた、いや日本の歴史を守った物語。
物語の結末が分かっていても、熱いモノを感じます。
おのおの方、先人の命をかけて守った歴史を見逃すな!
日本の、対馬の、住民を命がけで守ろうとした人々の熱い戦いをご覧ください。
感想レビュー (以降、ネタバレ全開です)
さて、ここからは、史実云々ではなく、いちエンターテイメント作品として捉えレビューします。
朽井迅三郎は容赦なし 本気度が伺える!
1話冒頭から、重い雰囲気。
簡単に人を殺めるシーンも。
主人公・朽井迅三郎も一瞬のためらいもなく切る。
切られるシーンは血生臭く、身体の部位が切り離される。
『アンゴルモア 元寇合戦記』は本格時代劇であり、この時代に起きたであろう事を真正面から描いていくことを宣言するかのような冒頭シーン。
アニメとは言え、歴史物はそういうもの。
原作者、アニメ製作スタッフの本気度が伺え、期待度が上がる始まりでした。
流人十数名が救世主??
見始めると、序盤、違和感がありました。
蒙古が攻めてくると想定し、援軍が叶わぬなら「戦に役立ちそうな流人を回してもらうよう」輝日姫が鎌倉幕府へ頼んだ。
違和感というのは、呼び寄せた流人の数。僅か十数人で全員??
既に何人もの流人が来ているのか?それとも他にも舟があるのか?と思ったが、そうでもない。
蒙古の兵力はおおよそ掴んでいるはず。
手練れとは言え、十数人の流人がどれだけの助けになるのか?
ファンタジーではなく、本格歴史ものであるだけに、気になる策。
どうやら、対馬を支配する宗家の兵士は数百程度。
#2話、上陸した蒙古軍に向かったのは多くて300程度。
流人を多くしても、従えることはできないわけですね。
それでも、流人を見て、少し安心していた輝日姫。
つまり、蒙古軍が攻めてくると想定していた輝日姫も、どの程度の備えをしなくてはいけないのか全く理解をしていなかったのですね。
朽井迅三郎は主人公であってもヒーローではない
主人公・朽井迅三郎は強く知略もあるが、スーパーマンでも無双でもない。
情に流され無理な戦いをしたり、意味もなく命を投げ出したりもしない。
現実的で冷静に状況を判断し、無謀な戦いも挑まない。
過去の戦い方に拘ることなく、「生き残るために」最善を選ぶ。
中でも、朽井迅三郎の特筆すべき能力は他人を「奮起させ、束ねる力」か。
朽井迅三郎は人を鼓舞するのが上手い
対馬の支配者・宗助国(そう すけくに)を始めとする宗氏一族。
蒙古軍(正確には高麗軍)が上陸しても、戦になるとは限らないと考える始末・・・
だが、輝日姫、弥次郎は、凄惨な戦いを目にし、少しずつ成長していく。
朽井迅三郎はその指南役としての位置付け。
実戦経験豊富で、(鬼剛丸に言わせると)戦好きな、朽井迅三郎は戦況を冷静に把握し、判断をしていく。
自分一人が、流人十人程度が奮闘しても、蒙古軍に敵わないのは分かっている。
宗氏の兵たちが如何に奮起し、戦える者は武器を手に取り、戦えぬ者は必死で逃げることが、生き残る道だと知っている。
平和ボケしていた対馬の兵士が、初戦の後、絶望していた兵士が、徐々に立ち上がる。
それぞれが”覚悟”し立ち上がっていく展開が見応えあり!
型破りな戦法が面白い!
蒙古軍は圧倒的な兵力と、火薬があるので、小細工なしに、悠然と真正面から攻めてくる。
#それが本当に強いから始末に負えない・・・
そこを、朽井迅三郎の型破りな作戦で、虚を突く作戦が気持ちいい。
さらに地の利を活かした作戦も、寡をもって衆を制す、小が大に挑む作戦にゾクゾクします。
戦略眼がある朽井迅三郎は、蒙古の本丸は九州であり、対馬攻略は通過点であることを確信。
真正面からぶつかるのではなく逃げ切れば生き残れるチャンスがあると信じていた。
#少弐景資(しょうに かげすけ)が約束した7日後の援軍を信じていたかは不明。
対馬は島とは言え、一国に相当する広さ。
山深い地形は、守り、逃げに適している。
あれだけの大軍に攻められても、7日間耐え抜いた、または生き残りがいたのは、地形のおかげ。
だとしたら、地形を利用した戦い方もあるだろうとのアイデアが説得力を持ち、見ていてもリアリティを感じるのだ。
これぞ戦記物の醍醐味!
後半、失速するのは仕方なし?
しかし蒙古軍はバカではない。
それどころか、日本人より、ずっと戦慣れしている集団。
個と個の戦いで不利と見るや、数で押し、飛び道具を使う。
戦に必要なのは勝利。
プライドや勝ち方ではないことを蒙古軍はよく分かっている。
奇策を用いる敵に対し、蒙古軍も徐々に、搦め手、変化球、工作を行うように。
そうなると対馬としては逃げの一手とならざるを得ない。
結末が決まっているので、収束していく展開は仕方ないのだろうが、もう少しドラマ性が欲しかった。
特に、刀伊祓(といばらい)の長・長嶺判官(ながみね はんがん)。
あれだけ上から目線で派手に登場をしておきながら、7話まで引っ張って合流。
火を使った戦術は見事だったが、それっきり。
最後はなんともあっけない・・・
流人たちも次々と・・・
リアルな戦などそういうものだと言いたげ。
フィクションなのだから、同じ死ぬにしても、最後に見せ場が欲しかった。
#6話の弥次郎の最後に至る盛り上げは良かったです。
作品が描きたいことは「戦の無情さ」か
歴史物として描くからには歴史を変えて描くわけにはいかない。
それでも、小が大に挑む、一矢報いる姿を全面に出してくるかと思いきや、そうでもない。
視聴者が楽しめるようにか、時折気持ちの良いエピソードがあるが、全体としては厳しい展開。
作品全体を通して描かれたのは「戦いの無情さ」、だと私は感じた。
対馬はもちろん日本も、当時モンゴルや高麗を侵略する考えはなかったはず。
対馬がモンゴルに対して悪いことをしたわけでもない。
にも関わらず、蒙古は対馬を根絶やしにし、九州へ向かおうとする。
対馬は目的ですらなく、通過点に過ぎない。
「対馬は通過点だから素通りするだろう」との考えは甘いと思い知らされる。
が、対抗するにはあまりに多勢に無勢。
蒙古が攻めてくると分かっていながら、幕府は助けを出さず、指示すら来ない。
蒙古は交渉も通じず、一般人にも手を出す始末。
これらが一時に起こり、混乱を来すのは必然。
死んでいった者達はさぞや無念だっただろう。
フィクション、つまり創造された作品とは言え対馬が攻め入られたのは事実。
このような状況に置かれた人々がどのように行動したのか。
果たして自分が同じ状況にいたら立ち上がることができたのか。
混乱と絶望の中で、奮起し立ち上がった人びとには頭が下がる。
色々と考えさせられる内容でした。
(現実でも)この状況下で生き残った人々がいたことを信じたい。
反対に蒙古は蒙古で、各軍は、攻めないと生き残れない、戦わないと殺される。
という状況に置かれていることが透けて見える。
なんとも怒りの矛先をどこへ持っていけば良いのか、ストレスがたまるのも事実。
これも歴史・・・
博多編へ続く伏線か
いくつか決着が着いてない点が残りました。
- 蒙古軍の義経流の使い手はなぜ輝日姫を?(1話)
危険を犯してまで、単独で輝日姫をさらおうとしたのは、なぜ?
輝日姫の正体を知り、利用するつもりだった?
では、その後、気にしてないのは、なぜ? - 蒙古軍の義経流の使い手との決着(1話)
1話で朽井迅三郎との一騎打ちで同等の腕前だった男。
再戦し、決着を楽しみにしていたのに、出番すらなし。 - どうして、対馬をそこまで根絶やしにしなくてはいけなかったのか。
壱岐、博多へ攻め入る際に、背後から攻められる危険を取り除くために対馬を潰すのは当然。
が、これだけの兵力差があるのだから、ある程度の兵力と、海を渡る手段を断てば充分なはず。
それよりも、できるだけ早く博多へ攻め入った方が、兵力、食料や武器も残せたはず。
現に、対馬で7日間かかったことにより、それだけ準備期間を与えてしまったのです。
「腕ならし」とのセリフもありましたが、あまりに効率が悪い。 - 海幸彦(サメ
クジラ)は一体何を意味する?(12話)
※神秘的なので最初は哺乳類のクジラだと思ってました。ご指摘感謝! - 最終話 最後のセリフ「対馬はまだ終わっておらぬ!」「ああ、また戦えるな!」(12話)
「博多編」へ参戦するのか?それとも、2度目の蒙古襲来への伏線か!?
1つ目、2つ目は、ただ単に、蒙古軍が寄せ集めだから、色々思惑があるという描写かもしれません。
にしても、1話アバンのシーンはどこに行ったのでしょう??
朽井迅三郎が一人立ち向かい、一斉に蒙古軍から矢が放たれる・・・
あの一斉射撃からの続きが見たかった。
イメージですかね?
もしくは、回想というか、朽井迅三郎の頭の中で想像したことかな(笑)
期待が高まる博多編!
直視できない展開だっただけに、“あの”蒙古軍を追い返すであろう「博多編」が気になります。
殆ど全滅させられたとは言え、蒙古軍に一瞬でも恐怖を与え、爪痕を残した朽井迅三郎たち。
その恐怖が蒙古軍の攻めにためらいや慎重さを呼び起こし、勝機を導いて欲しい。
博多には朽井迅三郎級の武士がいると思いたいし、朽井迅三郎の参戦も期待したい。
なんにせよ、7日間以上、蒙古軍を対馬に足止めさせた。
その間に、博多では迎え打つ準備を整えた。
だからこそ、(史実通りの展開なら)追い返せたのだと信じたい。
対馬の戦いは無駄ではなかったのだと・・・
おわりに (『アンゴルモア 元寇合戦記』とは)
日本の絵巻を見ているような霞みがかった絵。
これにより、鎌倉時代の雰囲気を出し、重く殺伐とした空気感を醸し出している。
反面、派手さも荒唐無稽なこともなく(全くないわけではない)、渋く、正に本格時代劇になってます。
#ラストの海幸彦(サメ)は突如ファンタジー入ってましたね。
さらに、対馬の地形と兵力の差から、局地戦が多く、絵的に迫力のある大軍VS大軍はないのは致し方なし。
戦闘描写については、一騎打ちのシーンは迫力と重量感が見て取れ良かった。
が、それ以外のシーンはさほど盛り上がりませんでした。
特に後半は、次々と味方が倒れ、その描写が、簡単に敗れていくように見えてしまい残念。
ただ、楽観からの緊張、緊迫、絶望、希望、誇りへと変化していく様は見応えあり。
平和だった対馬に突如訪れた戦。
望むと望まざるとにかかわらず始まった合戦。
いち早く、現実を直視し、現状を打破する役目を流人に負わせたのは適任。
反目しながらも協力し合っていく他の流人や住民がリアルに描かれていました。
「生き残るが勝ち」との締めでした。
原作はまだまだ続きそうで、今後は更なる大きな戦になるであろう「博多編」へ。
回収されてない伏線があったと見受けられるので、「博多編」で回収してくれると期待。
「江戸の敵を長崎で討つ」じゃないですが「対馬の敵を博多で」討って欲しい!
#それとも2度目の襲来のときか。
原作共々追いかけたい作品に出会えました。
これだからアニメは止められない!