オススメ度 | A |
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ジャンル | ファンタジー、恋愛 |
作者 | 岡田麿里 |
出版社 | メディアファクトリー |
ストーリー | |
設定 | |
世界観 | |
感情移入 |
小学生の頃、仲良しだった幼なじみ男女6人組。
ある事故がきっかけでバラバラになる・・・
数年後──
高校生になった主人公「じんたん」の前に”いなくなったはずの「めんま」”が現れる。
めんまの願いを叶えるため、再び集まるかつての幼馴染み「超平和バスターズ」。
果たして、めんまの願いは叶うのか?
めんまの本当の願いとは?
こんばんは。時文です。
TVアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(以降『あの花』)鑑賞後、ノベライズ版小説を読みました。
小説は、TVアニメの脚本を手がけた岡田麿里さんが執筆。
『ダ・ヴィンチ』2011年3~7月号で連載され、大幅に修正・加筆したものを小説上下2巻で刊行。
本レビューでは下巻を取り上げます。
下巻はTVアニメで言うと、6~11話(最終話)に相当。
#ストーリー、構成が若干違うので、完全一致ではありません。

目次
はじめに
小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』は、TVアニメの原作ではなく、アニメ版を小説化したノベライズです。
下巻に入ると、アニメとはもう少し違う展開になっていきます。
正確に表現すると、登場人物像と過去設定はほぼ同じで、起きる出来事の順番やタイミングが少しだけ違う。
出来事への入り方が違い、登場人物に起きたことと知っている情報が違うと、対応や反応も変わってくる。
アニメを見た後に読むと、まるで、同じ時間帯、同じ設定、同じ人物のパラレルワールドを見ているよう。
でも、読んでて「違和感」はありません。
そこにあるのは『あの花』の世界なのです。
タイミングが変わっても、超平和バスターズの面々が選ぶ選択肢は同じ。
違う角度から見ることができ、より深く『あの花』を理解する。
なかなか面白い位置付けの小説。
私に取っては、アニメと小説を合わせて「完全版『あの花』」であると感じました。
では、小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(下)』感想レビューをどうぞ。
感想レビュー (以降、ネタバレありです)
アニメ版のネタバレもあります。アニメ未視聴の方はご注意下さい。
ここからは、小説版だけでなく- アニメと小説(下巻)の明らかな違い
- 小説(下巻)で明らかになった点、深掘りされた点
違い① 「日記」ではなく「交換日記」
小学生時代の設定は、アニメと小説は全くと言っていいほど同じ。
唯一違ったのは、めんまの母親から譲ってもらった「日記」。
アニメでは日記でしたが、小説では交換日記です。
この交換日記にまつわる話がとても良いので、ぜひ小説版『あの花』をお読み下さい。
めんまと一緒にやっていた交換日記に「願い事」のヒントがあるのではないかと考えるのは、アニメの日記と同じ。
めんまの母親は交換日記なので、皆の所有物でもあり、譲ってくれたのです。
#この点は小説の方が説得力ありますね。
小学生時代
交換日記は、あなるが始めようと言い始めました。
そこには、あなるのじんたんに対する「思いを伝える作戦」があったのです。
ページをめくると、あなるの文字が。
そこで慌てて、ページをめくるあなる。
そこには一体、何が書かれていたのか?
あなるの変わらない可愛らしい一面が楽しめますよ。
めんまを含めた超平和バスターズの6人は再び交換日記を始める。
めんまに対する思いだけでなく、それぞれ思い思いに。
高校生+子供のままのめんまとの交換日記。
書く内容、書き方にそれぞれの性格が表れとても上手く交換日記というツールを使ってます。
小学生時代の交換日記を振り返るシーンも、その部分を知るだけで性格が分かる程♪
そして(アニメ同様)交換日記にしか文字表現できない、めんま。
めんまとのコミュニケーションツールとして、欠かせないモノとなっていく。
めんまは、じんたん以外とは交換日記を使って普段のコミュニケーションをします。
交換日記の残りのページ数を気にして、日常会話は小さい文字で最小限の言葉で書く場面も。
躊躇しているめんま(のペン)を見て、つるこは最後の数ページに「めんまのおしゃべりコーナー」を作る。
「えっ・・・?」
「めんまが喋りたいことは、これからこのスペースに書くといいわ・・・それにね。みんなの交換日記だからって、遠慮することはないのよ」
「!」
知利子は芽衣子の姿が見えていないのに、芽衣子の心はすべて見えているかのように口にした。by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(下巻)
交換日記一つ取っても端々に皆の優しさが溢れているのが心地よい。
アニメ鑑賞時、気になってました。
めんまが、日記にかなり大きな字で文字を書いていたので。
分かりますよ!
アニメだから画面でその字を見せないといけないので、大きい文字で書くのは。
成仏させようとしていたのだから、長くはいられないことを予想していたのも。
それでも、めんまが文字を書けるのは、その日記しかないのです。
とても貴重で大切な日記・・・
そんなにサクサク、心情的に書けないだろうと・・・
小説を読み、岡田麿里さんは、こういう展開も描きたかったことを知り、納得しました。
私に取っては、アニメと小説で、完全版『あの花』です♪
違い② じんたんはゲームショップでバイトしない
小説ではじんたんは、工事現場のバイト1本です。
そのバイトをするのに、高校から許可証をもらいに行くのに奮闘する姿が読めます。
めんまの願いを叶えるために、これまで避けてきたことに立ち向かいます。
ゲームショップではバイトしないので、アニメであった、あなるのあの名シーンは!?
と思っていたら、違う環境でありました。
なんとそこでは、あなるはじんたんを突き飛ばします。
倒れたじんたんをそのままにして、あなるは思いを伝える場面に・・・
これはこれとして、「画として」アニメで見たかった(笑)。
じんたんが工事現場でしかバイトしない分、あなるがバイト先へ足を運び、じんたんとの接点を持とうとします。
その姿を、めんまが目撃し、あなるのじんたんに対する想いを知ります。
工事現場という、オープンな場だからこそ自然にできた展開ですね。
違い③ 打ち解けた後の時間が長い
下巻の半分を過ぎても、花火を打ち上げることができず、ヤキモキしながら読んでいると・・・
アニメとは構成が違いました。
アニメ
- ロケット花火打ち上げ
- 超平和バスターズのメンバーが真に打ち解ける
- 秘密基地でかくれんぼ
- 「見つかっちゃっ・・・た」
小説
- 超平和バスターズのメンバーが真に打ち解ける
- 秘密基地で缶蹴り(小説のみ)
- 秘密基地でかくれんぼ
- 「見つかっちゃっ・・・た」
- ロケット花火打ち上げ
小説では、花火を打ち上げるより先にかくれんぼがあり、それより前に超平和バスターズのメンバーが打ち解け合ってます。
打ち上げ花火を上げることが、めんまの願いだと信じていたメンバーは、花火を上げる日がめんまと一緒にいられるリミット。
その時間を惜しむかのように、時間があれば、メンバーが集まって遊ぶ。
めんまの姿は見えないので、かくれんぼはできない。
そこで皆が考えたのは、物を動かすことができる「缶蹴り」。
めんまが鬼役ですね。
見つかったら、めんまが缶を踏み、そのちょっとした音を聞き取り、誰が見つかったかを、じんたんを通じて伝える。
誰が見つかったを確認する時間だけは、見られても良いルール。
など、めんまに合わせた、とても優しい遊び方。
ゆきあつは、めんまに見つかると、ゲームで負けているのに、なんだかうれしそう・・・
この辺りのエピソードがとても温かく、そして切ないのです。
小説は、この缶蹴りがあったからこそ「かくれんぼ」が利いていた気がします。
違い④ 「花火」がラストシーン
よって、小説では、めんまが成仏した後、ロケット花火が打ち上げられます。
アニメとは違い、わだかまりのない花火の打ち上げ。
花火が打ち上がる際、メンバーはそれぞれめんまに対する想いを叫ぶ。
#アニメでは「かくれんぼ」でめんまを見つけたときのセリフとして表現されてます
アニメでは私は、花火のシーンは、全く感動しませんでした(すいません)
が、小説では、(違い②の)缶蹴りの辺りから、こみ上げてくる物があり(アニメでも感動した)かくれんぼの時は涙し、花火のシーンでもボロボロでした・・・
私の場合は、小説の方が、感動が長い時間続きました。
いや~~泣かされた!
めんまが泣かしたのは、じんたんだけじゃないぞ!
とバカなツッコミをしてました(笑)。
【考察】めんまの願いは・・・
めんまの願いは、結局なんだったのか?
アニメでも小説でも、明らかにはされていません。
が、アニメと小説のめんまが成仏したタイミングを考えると、一つの仮説が導かれます。
アニメ
- ロケット花火打ち上げ
- 超平和バスターズのメンバーが真に打ち解ける
- 秘密基地でかくれんぼ
- 「見つかっちゃっ・・・た」
小説
- 超平和バスターズのメンバーが真に打ち解ける
- 秘密基地で缶蹴り(小説のみ)
- 秘密基地でかくれんぼ
- 「見つかっちゃっ・・・た」
- ロケット花火打ち上げ
こうして並べると、めんまの願いが「ロケット花火」ではないのは明らか。
#並べなくても皆さん分かってますよね(苦笑)
どちらも共通しているのは、超平和バスターズのメンバーが打ち解けた(なかよしになった)後。
よって、めんまの本当の願いは「超平和バスターズはずっとなかよし」なのかな、と私は考えてます。
気になるのは、アニメでは、神社で自分達の気持ちをぶつけ合うシーンと同時に、めんまが消えかかったんですよね。
ちと、早い気がするのが気掛かり。
ですが、こうしてアニメと小説。
特に小説で、めんまの性格と心情描写を読んでいると、めんまは自分の事より、周りの事を優先。
事故に遭った間際のことは覚えてないようですが、自分の存在がキッカケで、大好きだった超平和バスターズのメンバーがバラバラになるのを気に懸けていたのではないでしょうか。
じんたんの前に現れ、じんたんにしか見えなかったのは、彼なら、昔の超平和バスターズの関係を取り戻してくれると思っていたから。
勿論、じんたんのことを好きだったというのもあるでしょう。
ん?
であれば、もっと早くに、じんたん以外に見えても良かったはず・・・
めんまは、「超平和バスターズの皆と仲良くしている、じんたん」が好きだった──
あの頃の、じんたんに戻って欲しいから、じんたんの前へ現れた?
めんまの願いは・・・
「超平和バスターズの皆がなかよく」は手段であって目的は「”あの頃のじんたん”に戻って欲しかった」?
そうすると、じんたんの前に現れ、彼にしか見えない事も辻褄が合いますね。
めんまの性格です。
願いが、じんたんのことだけだとしても、そういう結論に辿り着かない。
自分よがりな考えは途中で排除してしまう性格。
自分でも気付いてない、根底にある強い感情が、じんたんにだける見えるという現象を起こしたのではないでしょうか。
もう少し考えを進めると──
あの事故の時。
じんたんを追いかけて、めんまはじんたんに何を伝えたかったのでしょうか?
「じんたんはそう思ってくれてなくても、めんまは、じんたんのこと好きだよ」
なんて、セリフが私の頭の中に浮かびました。
好きだよと、伝えることができなかったので、じんたんの前に現れたのではないか?
ところが、伝えたかったことを忘れ、じんたんは昔のじんたんとは様変わり。
だから、昔の超平和バスターズを取り戻し、その過程で、自分の思いは、じんたんに伝わった。
結果、めんまの願いは叶った──
ま、そんな考察も楽しい『あの花』でした(笑)。
明かされた点① めんまのお葬式
アニメでは描かれなかった、めんまのお葬式。
じんたん目線で書かれてます。
小学生時代
「めんまの葬式」が抱える意味をあまり理解していなかった、じんたん。
ただ、その日に、めんまの葬式があるとだけは知っていた。
父親は、じんたんを葬式に連れて行く気はなかったが、じんたんはごねてごねて連れて行ってもらう。
そこで見たもの、経験したことは──
大人達は、じんたんを見て身構え、泣き崩れていた母親は、じんたんを見ると顔を上げ呪いのようなののしりを・・・
じんたんの父親は深々頭を下げ、じんたんを引っ張ってその場から立ち去る・・・
じんたんは、事件の後、こんな経験をしていたのです。
それも小学生時代に。
じんたん自身も悲しみの底にいたのに──
そりゃあ、人も変わると言うもの。
何もやる気がなく、手に付かなくなるはずです。
その後、じんたんの母親も亡くなります──
じんたんが高校へ行かなくなっても、父親は何も言いません。
その気持ちが分かる気がしました・・・
明かされた点② 心の内がよく見える
小説は状況や感情を言葉で説明するので、アニメより心情描写が多く、ずっと心の内が見えます。
上巻同様、下巻でもアニメだけでは分からなかった心情描写やセリフが描かれ、登場人物の内面をより理解できました。
主だったところを登場人物別に紹介しましょう。
めんま:他人を優先
上巻のレビューでも書いたのですが。
アニメを見ていた時、違和感があったのは、めんまが家族に対して冷めていること。
めんまは優しい子だし、生前、家族と距離があったように思えない。
なのにどうして?と思ってました。
小説を読んで明らかになりました。
それは、両親と弟のいる家に帰ったとき。
あの居間で、コップを落とした。ただそれだけで、小石を放り込んだ湖面にうまれる水紋のように、ぶわっと険悪な空気が広がっていった・・・。
自分は、この世界に『何も残しちゃいけない』のだ。
やっぱり自分は、この世界からの、ノケモノ。
by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(下巻)
めんまの優しさ故、ですね。
めんまの記憶があるだけで、めんまを思い出させるだけで、家族を険悪にさせてしまう。
そこに、幼少時代からの周りから仲間はずれにされていた「ノケモノ」のトラウマが重なり、自分は(ここには)存在してはいけない。
だから、家族に自分の存在を悟らせたくなかったのです。
とても切ない場面でした。
ゆきあつ:テンパりMAX
ゆきあつが、めんまの格好をし始めたキッカケが小説では語られます。
最初は、パッチンが始まりだった。
知利子と、地元に帰る電車を待つ間、駅ビルでうろついていた時のこと。
芽衣子にあげたはずの、そして受け取りを拒否されたはずのパッチンに、あまりにもよく似たヘアピンを見つけた。なかば無意識に、集はそれを買ってしまっていた。
隣に知利子がいて、その視線を感じているというのに。by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(下巻)
アニメでも小説でも、ゆきあつが、いつ頃から女装をしていたのかは触れられてません。
が、このモノローグから推測するに。
「地元へ帰る電車」と言っているので高校に入ってからか。
というと、ここ半年程度の話だったのですね。
確かに、サイズも、今のゆきあつにピッタリだったので、小学生時代からではないことは分かってましたが。
そして、ここでも語られます。
#上巻では、つるこ目線で語られます。
#詳しくは上巻レビューのこちらをどうぞ。
あの時、めんまに渡そうとしたヘアピンではなく、「似たヘアピン」をここで手に入れたのです。
かつ、そのヘアピンが、めんまの格好をし始めたキッカケだったのです。
ゆきあつるこ:やはり皆、そう思ってた(笑)
小説では「ゆきあつるこ」の会話も健在。
アニメではカットされてましたが、この会話最高でした!
「驚いてるのは、あの変態行為じゃないわよ。なんであっさり、日常に戻ってこられるわけ?」
「じゃあ、どうしてれば満足だ?」
「宿海仁太に続く、超平和バスターズ二人目のヒキコモリ」
「俺の神経逆なでするの、天才だよな。お前。」by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(下巻)
アニメでも、小説でも、あの変態行為の翌日には、何事もなかったかのように学校へ。
小説では、別の場面で、ぽっぽとじんたんも「立ち直れねえだろうな」とまで言ってます(笑)。
にも関わらず、この図太さ!
これが、ゆきあつの強さ。
小学生時代。
大好きな、まんまがあんな事になっても、じんたんとは違い、平常運転していた強さが見て取れます。
強がった分、めんまへの愛情が歪んでいったのでしょう。
そこへ、例の「ヘアピン」が目に入り、めんまの格好をすると言う行為に至ったのです。
つるこ:努力の子
つるこはマジメで、ゆきあつと同じ進学校へ入った。
決して、頭が良いだけではない、努力の後が伺えました。
アニメ7話でも、ゆきあつとの電話を切った、つるこは言ってます。
もうすぐ試験よ。
-中略-
あんたに付いていくのは相当大変なんだから。by TVアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』7話
小説では、三人称視点で、つるこのことを解説しています。
頭がよくソツがない。そんなキャラクターは知利子が努力で身につけたものだ。実際の知利子は不器用で、人よりも思考に倍以上時間がかかる。けれどそのぶん『真実』により近く擦り寄ることができる。
by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(下巻)
この文章を読んで、私は、つるこを好きになった気がします。
アニメでは先のセリフより前、こんな場面がありました。
アニメ5話
電車に乗るためにホームまで走ってきた、ゆきあつるこ。
つるこだけ、肩で息をするほど必死に走ってきた様子。
ゆきあつは運動は苦手だったと思うけど、そこは流石に男子女子の差か。
などとアニメを見て思っていたのですが、ゆきあつに必死に着いていく様子を表現していたのかもしれないですね。
深掘りされた点 ぽっぽの贖罪
さて、ここまで読んでる方々なら良いですよね。
小説『あの花』のぽっぽに関する大きなネタバレです。
上巻からあった、誰の視点か分からないが一人称視点。
何のことを言っているのか・・・
分からないが、なんとなく予想はつく、いや知りたくない・・・
段々暗くなり、怖くて、でもどうしようもない、逃れられない、その何か。
点在して記載された、誰かの記憶──
上巻
- きおくそのいち
- きおくそのに
- きおくそのさん
下巻
- きおくのうろうろ
- きおくのうろうろ、その思いつき
- きおくのうろうろ、はたと気づいた
- きおくのうろうろ、わすれえぬ
by 小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
一人称の主は、ぽっぽでした。
ぽっぽは、めんまが事故に遭った瞬間を見ていたのです。
そのことが頭から離れず、ずっとイメージとして残っている様子が描かれます。
とても、辛く、悲しく、怖く、忘れたくても忘れられない、記憶・・・
小説はページを一気に飛ばして読むことができます。
読み終わった後、このページだけを読むと、ぽっぽの心情変化がよく分かります。
小説では、秘密基地でぽっぽが一人涙しているシーンがあります。
この「記憶」の話を理解して読むと、辛い思いが伝わってきます。
皆、めんまのことで、何かを抱えて生きてきたのです。
超平和バスターズの皆、そして、めんま自身も──
おわりに (小説『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(下巻)とは)
さて、下巻を読み進めていると、私の中で面白い現象が起きました。
アニメ『あの花』と小説『あの花』は、展開が違います。
過去の設定も少し違い、それによるストーリーが変わってくるのが面白い。
ストーリーが変われば、普通なら別作品と理解してしまうのですが、私には同じ作品にしか思えませんでした。
そこに岡田麿里さんの脚本家/作家として腕があるのではないでしょうか。
登場人物の性格や考え方が全く同じで、状況が違うので違う感情、セリフが綴られる。
違うセリフ、違う行動をしているのに、やはり同じ人物に見えるのです。
状況が変われば、彼なら、彼女なら、そう答えるよな、と言う納得感があるのです。
まるで、SF作品のように過去に戻って、少し設定を変えてやり直しているのを、神さま視点で見ている感覚。
作品の舞台、人物、世界観、そしてプロットがしっかりしていると、これだけ展開が変わっても、違和感がない作品ができるのだとまざまざと見せつけられた感じです。
恐るべし!
非常に面白い感覚でした。
ではでは。
後は自分のために・・・ね。
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