ドラマ/青春

TVアニメ【荒ぶる季節の乙女どもよ。】1~12話(最終回) 感想レビュー エロと言うなかれ、これは性をテーマにした青春恋愛物!

荒ぶる季節の乙女どもよ。
オススメ度 A
原作 コミック
ジャンル 青春、群像劇、恋愛
放送情報 TVアニメ(2019年夏)/全12話
ストーリー
設定
世界観
感情移入

原作コミック未読。
TV放送録画にて鑑賞。一気見。

あらすじ

舞台は現代。

高校の文芸部に所属する主人公・小野寺 和紗(おのでら かずさ)ら女子5人。

和紗は、今まで読んできた本とは違う純文学の性描写が気になってしまう。
気になると止まらないのが性の話・・・
それは和紗だけではなかった・・・

乙女たちは”性”に振り回され始める。

こんばんは。時文です。
TVアニメ『荒ぶる季節の乙女どもよ。』最終話まで観賞しました。

原作は『別冊少年マガジン』で2017年1月号から2019年10月号まで連載されていた漫画。
原作コミックは現在7巻まで刊行(2019年9月時点)
最終巻8巻が10月発売予定。

アニメは1クールで原作の最後まで描かれます。

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』の脚本家・岡田麿里さんが、連載漫画の原作に初挑戦した作品
「好きなモノを書いて良い」と言われて取り組んだ漫画原作。

それがこの問題作!

何が問題かというと、これほど「女子の性」に真正面から真剣に取り組んだ作品は過去に例がないこと。
よくぞアニメ化して下さったと言うべきか。

そして男としては、少々見ているのが恥ずかしい・・・
そんな作品です。

では、TVアニメ『荒ぶる季節の乙女どもよ。』感想レビューをどうぞ。

  • 「はじめに」は【ネタバレなし】
  • 「感想レビュー」「おわりに」は【ネタバレあり】

はじめに

女子高生と言えば・・・

子供でもなく、大人でもない。
男子に興味はあるが、恐怖もある。
女子高生と言うだけで価値があると思うが、何をすれば良いのかは分からない。

世の中を知っているようでいて、まだまだ分かってない。

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』のメインキャラ女子5名は個性的ではありながらも、文芸部での高校生活を楽しんでいた。
が、恋愛関係は、どちらかと言うと「”非”リア充」

純文学で描かれる”性(せい)”に恥ずかしくなりながらも、部で話している内に、”未知なる世界”が気になり出す──

女子目線でここまで”性”が語られる作品を初めて見たので、驚きました。
新鮮というか斬新というか、見てはいけない物を見てしまった感じ・・・
男が見て良いのか?と思う程(笑)。

絵のタッチも少女漫画のようですが、れっきとした少年漫画
と言う事は、女子から男子に向けた、作品なのではないかと。

少年漫画と言っても少年少女世代を対象にしているのではなく、ターゲットはもう少し上の世代か。
何せ『進撃の巨人』を掲載している「別冊少年マガジン」連載作品ですから。

「女の子の性」をメインに据えてますが、描かれるのは「恋愛」です。

「恋愛」と「性」は切っても切り離せない。
では、「性」の対象と「恋愛」対象は同一なのか?

その辺の男女の考え方の違いなんかが描かれます。

少し見てられないシーンがありますが、そこは岡田麿里脚本だと覚悟して(笑)。

それよりも、見事なプロットと展開。
さすが原作者自らが脚本と言うだけあって、展開のテンポと繋がり、そして1クールに収める構成が秀逸です。
#まるで漫画原作制作時からアニメ化を意識していたのではないかと思う程

少女から大人の女性に変化していく高校時代。
「恋愛」や「性」に興味を持つ世代。

人生の中で最も多感で曖昧で悩み事も多い。
でも成長する3年間。

その高校時代を、本作では「荒ぶる季節」と表現

荒ぶるのは心。
原因は、異性か、大人か、社会か、世界か、それとも自分自身か・・・

“性”を扱っているからと避けていては勿体ない。
かなりのクセ球ですが、恋愛物が好きなら、刺さる所があるはず。

純情で不器用な乙女たちの群像劇。
乙女どもの、妄想と葛藤と暴走をお楽しみあれ!

TVアニメ「荒ぶる季節の乙女どもよ。」第2弾PV
DMM pictures

感想レビュー (以降、ネタバレありです)

こんなにときめかされるとは・・・

私はいつもどおり、鑑賞前に事前情報を入れないようにしていたのですが、どうしても評判は耳に目に入ってきます。

本作の評判は「今期一番の問題作」「エグい」「ストレート過ぎる」「何かを切り売りしている」。

一体どれだけ原作者や声優さんが心に秘めた部分をさらけ出しているのかと(笑)。

ところが見てみると、確かに心の奥底が描かれる部分はあります。
が、私が驚いたのは、至る所でときめかされたこと!

最初はどう見ても残念女子だと思っていた曾根崎部長にキュンとさせられ。
美少女・菅原新菜には普通の仕草やセリフでドキリとさせられ。
作家を目指す本郷のドキドキは伝染し、鬼気迫るシーンは胸が高まった。

まさかこんなに心を動かされるとは!
序盤、笑い(“苦笑い”含む)ながら見ていた時には思いも寄りませんでした。

メインテーマは「女の子の性」

1話「豚汁の味」から、下ネタ・・・もとい”性”に関する話が全面に出ているのに、忘れてしまいがちになるメインテーマ。

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』のメインテーマは「女の子の性」

女子が”性”をどのように捉えるのか。
自分事として”性”を考え、自分にとっての”性”を理解するのがメインテーマ。

そのことを深掘りするために、様々な過去と性格と環境を持った女子5人が登場。
“性”に対して葛藤してもらうために「恋愛」をさせているのです。

もちろん、恋愛と性は関係性が深いので恋愛物にしたのでしょう。
恋愛を見せることで、自然な流れで”性”が描けるわけです。

が、青春恋愛模様が余りに面白いので、メインテーマを忘れ恋愛物として見てしまいがち
これはジレンマかも(笑)。

ストーリーは「恋愛モノ」

作品内でも同じようなことを言ってます。
本で得た知識と、現実に体験することはまるで違う。

“性”に関しても同様。

どれだけ本を読んでも、どれだけネットで調べても、例え高尚な純文学から得た知識でも、自分にとっての”性”の本質は分からない

そこで恋愛をさせ、友達や自分に起きる問題として、本気で考えさせる。
視聴者側には、作品内で起きる葛藤に、思い当たる節が、あるいは共感できる点がある。

だけどメインテーマとして描きたいのは「女の子の性」。

恋愛物のゴールである、好きな人と付き合うことが本作の終着ではありません。
それぞれの”性”に関するモヤモヤを解消するのがゴール

だから早い段階(5話)でカップルが一組でき、主人公ですら8話でお互いの気持ちを確認でき、最後も5人全ての恋が叶うことがなかったのです。

早い段階で付き合ったのは、付き合ってからの”性”を描くため。
#和紗の方は菅原が恋心に気付くためのイベントでもあります。

別の言い方をすると、恋が成就するかどうかは描きたいこととは全く関係ないのです。

それでもハッピーエンドは見ていて楽しいし、視聴者受けするので、手心はあったでしょうね。

まあ、全員ハッピーエンドだと、それこそ満腹になり、本作を100%恋愛物だと理解してしまい、本質を探ろうとしなくなるのでしょうね(笑)

「性」=「恋愛」? or 「性」≠「恋愛」?

「性」と「恋愛」は切っても切り離せません
だから本作も「恋愛」で「性」を描いているのです。

では、「恋愛」=「性」なのでしょうか?
ここで言う性とはアレですね、アレ(えすいばつ)。

アレが目的ではないにしても、アレのことを抜きにして、(ずっと)付き合うことはできない。

アレをしたいかどうかで好きかどうかを判断するのは、私(男)から見ると短絡的に見えました。
なぜなら、アレを(すぐにでも)したいから付き合う、と解釈してしまうからです。

が、見ていくと分かるのが、彼女達は決してそんな単純な思考ではない。

男女問わず、恋愛感情は理屈ではなく感情で判断する部分が多い。
その感情を確かめるのに、アレをするならという究極の選択が指針となるのだ。

「性」⇒「恋愛」=『荒ぶる季節の乙女どもよ。』

本作はインパクトありきな作品に見えますが、とても綿密に練られた作品

ストーリーは緻密で、キャラクターの行動とセリフは繊細
少女達の心から、奥底にある感情を言葉にすることの巧さ

この作品が特徴的なのは、通常の恋愛モノの考えと逆のアプローチをしていること。

まだ、男子を”本当の意味で”異性として意識してない文芸部員女子5名。

“性”について意識し、気にし出すことで、今まで見えなかったモノが見えてくる。

同じ子供だと思っていたのに、突然、別の生き物に。
似た者同士だと思っていたのに、突然、何を考えているのか分からなくなる。
身近にいるのに、訳が分からない。

次第に、分かってくる──

意識するのは「好き」だから──
熱くならないのは「好きではない」から──

“性”に対する感情が、”恋愛”感情に通じることに気付く乙女達

凄く高いハードルから、低いハードルへ行っている気もしますが、彼女達はとても真剣。
性のことを真剣に考えることで、相手と正しい関係でいられる。

日本では性のことをオープンに話すのは避けられてますが、こっちの方が正しい道なのかもと思えてくる。
これまで見てきた”性”に触れない恋愛モノがおとぎ話に見えてしまうほど(笑)。

設定の妙は「文芸部」

それにしても、舞台となった文芸部の設定、使い方が上手い!

純文学という高尚な世界を学ぶという目的で、堂々と”性”が語られている
これで、純情な乙女が”性”を語ることの免罪符にし、そのことを知らない外部の人間は、奇妙な部として教師からも疎まれる。

純文学や読書は自分自身を掘り下げることに繋がり、本作の”性”について考えることと共通点が。

文芸部設定は、プロットにもしっかりと活かされている。

代表的なのは「文化祭での伝説作り」。
昔から存在したかのような、カップルになれる伝説を作り出す朗読会展開は、見事にはまっている。

さらに伝説に絡ませ、曾根崎部長の恋がオープンになり、和紗もカップルになり、学内でも恋愛が盛んに。
そのことが、終盤の男女交際禁止令に繋がっていく。
#きっかけは十条の妊娠だが、教師は予防策を取ったのです

実に秀逸なプロットでした!

プロットも流れも良いが、もっと切り込んで欲しかった

文芸部員女子5名。
性格の違う彼女達に、それぞれ別々のタイプの男子を対立軸としておく。
関係性は、意外と早く付き合う者から、嫌悪感を抱き破綻したり、友達の彼氏に好意を抱く者まで。

それらの進捗をズラして、絶妙に絡み合わせていくワザが、お見事でした。

2、3話単位で描かれる出来事が、切れ目なく展開していくのも秀逸。

“性”をメインテーマとして描いているので、カップルの成立・不成立については先に記載した通り不満はありません。

が、ここまで”性”について掘り下げたなら、男女交際禁止令に真っ向対峙する議論や解が見たかった

結局、「立てこもり」という行動は見られたが、せっかくの舞台が、乙女5人の悩みの最終決戦の場とされてしまった。
まあ、これはこれで青春していて面白かったのだが。

妊娠が発覚し退学させられた十条や、同じく退学させられそうな部長の件は、投げっぱなし?
#大学に行っている様子が写ったと言う事は、無事に卒業したということでしょうが

結局、彼女達は自分の問題には決着を付けたようだが、学校(=社会)への主張は、一方的に張り紙を貼って終了。

ここまで来たら、もう少し踏み込んで欲しかったと思うのは贅沢でしょうか?
岡田麿里作品なら描いてくれると期待していたからの言葉です。

決して批判しているわけではありません。

なぜ「地味子」が主人公?

ここまでで4000文字を超える超長文なので、そろそろ締めないといけないのだが、最後に主人公についてだけ。

主人公・和紗は「ザ・普通」。
正直言うと、私は最後まで和紗は好きにはなれませんでした。
ウジウジしているし、勝手に勘違いしていくし、実際にいたらウザい(すいません)。

  • 掃き溜めに鶴の「菅原
  • 作家の卵の「本郷
  • 文芸部部長の「曾根崎

これら3人の方が主人公然としている。

では、どうして和紗を主人公にしたのか?
いや、正しい質問は「どうして主人公を地味にしたのか?」ですね。

和紗と百々子の二人は、自分たちに特徴がないことは1話で語ってます。
つまり作者も分かっていると言うこと。
意図的に和紗を地味目にしているのです。
#キャラクターデザインからしてそうですよね(笑)

最後まで見ると分かる、和紗が平凡な理由

①和紗が平凡なことにより、他の女子が浮き彫りに

本作は主人公を描くのが目的ではありません。
(繰り返しになりますが)様々な少女の”性”に関する考えを描くのが目的

少女達の青春群像劇にするため、主人公を”敢えて”目立たないようにしたのではないでしょうか。

主人公だけ存在感が大きすぎると、群像劇は見ていて辛いですからね。

②平凡からの幸せ

和紗は「特徴がないのが特徴」と言われるほど「地味」
中学生時代は、人気者の泉と仲良くしただけで疎まれた。

大きな欠点があるわけではないのだが、人に誇れる長所があるわけでもない。

岡田麿里作品には、子供時代のトラウマを抱えた女子が困難を乗り越える物語が、よく描かれます。

今回は過去作品ほどではないが、平凡で地味であることをコンプレックスとしている女子を据えたのではないでしょうか。

では、なぜ菅原氏は負けた?

自分に自信がなく、すぐに他人を羨む主人公──

美少女の菅原に憧れ嫉妬し、勝てっこないと諦める。
曾根崎部長の度胸に背中を押される。
百々子の優しさに励まされ。
泉の昔からの関係性に自信を持っていく。

いい子なのは分かるが、主人公としては物足りない。

というか、正直、菅原氏に勝てた要素が今一つ分からない。

これが幼馴染みの力か(笑)。
これでは、菅原氏は一生勝てない。

いえ・・・だから、菅原氏は最後納得したのでしょうね・・・勝てないと

『星の王子様』のキツネの例が、とても印象的。

そう。
本作では、メインカップル和紗×泉に本当の思いを気付かせるキツネ役は菅原氏。
そして、そのキツネ役に導いてしまった百々子もある意味キツネ役なのです。

9話以降が岡田麿里作品らしいと言えばらしいですね。

和紗は、最後の最後、ようやく平凡から脱出する気配を見せます。
校舎に彩られた抗議文書のように。

見方が変われば、新しい色=新しい自分の魅力が見えるはず。
そのキッカケの一つが”性”であり、異性であり、沸き上がる感情、感性なのか・・・

おわりに (『荒ぶる季節の乙女どもよ。』とは)

全体を通してとても良かったのが、作風として「荒ぶる」ことを否定してないこと!
むしろ「荒ぶる」ことを肯定している。

(高校生に限らず)思春期時代は、悩んで悩んで苦悩して、答えが出たら突っ走り、答えが出ないときは爆発してもよい。

少年少女に対する応援歌になっていると感じました。
なんとも気持ちの良い作品!

岡田麿里作品、これまで無条件で好きとは言えなかったのですが、これは別。

岡田麿里作品と言えば、主人公達のトラウマや弱い所を追い込んで追い込んで爆発するのが真骨頂だと思っていました。
今回はそこいら辺は抑え気味。

むしろ王道展開に寄った展開で安心して見てられました。
#本郷や菅原の恋愛は危なかったから、私の許容範囲が広くなったのか?

岡田麿里原作なので(メインテーマが性だからとかではなく)皆ハッピーエンドはありえない(苦笑)。
一体彼女達はどうなるのか最後までドキドキしました。

見てられないシーンはないとは言えないが、全体的に明るい!

終わってみたら、いつもの岡田節は要所要所でありながら、しっかり青春恋愛物を見せてくれました。

よし原作漫画も読んで見ようかな!
岡田麿里さんが原作なので、さすがにエッセンスは変わらないでしょうが(笑)。

新しい発見があったらレビューしますね。

ではでは。

きょうのひとこと

これを見て女子も性に興味あると思って踏み込むと失敗するよ(笑)

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