原作 | TVドラマ(原作・脚本 岩井俊二) |
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ジャンル | 恋愛、SF(すこし不思議) |
放送情報 | アニメ映画(2017年8月)/90分 |
オススメ度 | B- |
ストーリー | |
設定 | |
世界観 | |
感情移入 |
Blu-rayにて鑑賞。原作TVドラマ未鑑賞。
「もしも、あのとき・・・」
夏休み、とある海辺の町。
花火大会をまえに、「打ち上げ花火は横からみたら丸いのか?平べったいのか?」で盛り上がるクラスメイト。
そんななか、典道が想いを寄せるなずな母親の再婚が決まり転校することになった。
(公式HPより)
原作は、独特な映像美で脚光を浴びていた岩井俊二監督の知名度を一気に上げたドラマ作品。
オムニバス形式のドラマ『If もしも』の一篇として同じタイトルで放送。
ドラマのコンセプトは「主人公の選択によってその後のストーリーがどう変化するか」。
アニメ映画は岩井俊二監督ではありませんが、映像で海辺の町並みや子供達の淡い思春期を感じる作品となっているのは岩井俊二監督作品原作だからか。
ファンタジーを織り交ぜた、少し不思議な物語。
少し芸術的(鑑賞向き)で抽象的な作品になっているので、現実的な私には少しあわないかと思いました。
が、鑑賞後、妙に気になるのです。
映像の美しさと色んな解釈ができる抽象的な表現には惹かれました。
その辺りをレビューしたいと思います。
東宝MOVIEチャンネル
目次
はじめに
さて、いつも通り事前情報なしで見たのですが・・・
失敗しました・・・
主人公達の年齢設定は「中学一年生」。
#原作ドラマでは小学六年生だそうです。
中学1年生の夏休み、つまり、ついこないだまで小学生・・・
全然そんな風には見せませんでした。
特にヒロイン・なずなが・・・
私は前半ずっと、こいつら(高校生にもなって)バカなこと考えたり、会話したり、ウジウジした行動をしていると思って見てました。
そのせいか、主人公達に感情移入が全くできず、終始引いた感じで見てしまいました(涙)
これから視聴なさる方は、くれぐれも年齢設定だけは知っておいて下さい。
典道たちは中学一年生だそうです。
#そう聞いても、いまだ、私にはそう見えないのですが・・・
内容は恋愛ものです。
映画宣伝で「繰り返す、夏のある一日」とあるようにタイムリープ物が前面に出ていますが、オーソドックスな思春期の少年少女のラブストーリーとして見る方が良いと思います。
中学一年生の主人公・典道。
クラスのアイドル的存在のヒロイン・なずなが転校することになる、夏休みの登校日で花火大会のある一日。
自分の気持ちの捉え方、恋の対処のしかた、相手との距離感、友達との関係、誰にでもある自分の気持ちにどうして良いか分からない思春期の時代。
“同じ日”を繰り返すことによって、最初はできなかったことが次第にできるように。
これは思春期の少年少女のラブストーリー。
しかもかなりオーソドックスな部類のラブストーリー。
オーソドックスなのに、何度も見たくなってしまうクセがあります。
特にヒロイン・なずなのシーン。
ラブストーリー以外の要素も、理解しにくいモヤッとする展開があるので、二度と見たくない!
と思いつつ、あれはどういう意味だったのか?知りたくなる、とても小憎たらしい作品とも言えます。(←正直すぎ?^^)
さあ、違和感ありながらも、後半30分はキャラクターのとても素直な気持ちがストレートに表現され、キレイな映像と音楽とも相まって神秘的で美しい夏の青春の一夜が繰り広げられます。
あと、この作品の代名詞にもなっているDAOKO × 米津玄師『打上花火』も最高ですね。
コラボMUSIC VIDEOがyoutubeにアップされていたので、BGMにどうぞ♪
DAOKO × 米津玄師『打上花火』MUSIC VIDEO
daoko_jp
感想レビュー(以降、ネタバレあり)
冒頭から美麗な映像に圧倒されます。
私はもう花火の映像に合わせたオープニングでシビれました。
ところが物語が始まると、途端に違和感(感情移入できない置いてきぼり感?)が。
時代が古い?幼稚?なんかイラッとする・・・などなど。
原因の一つは年齢設定。
私は主人公達が高校生だと思って見てました。
高校生になってもガキみたいな奴は1人2人いるよなーー
と思って見ていたら、全員そんな感じで、呆れてみてました。
中盤、なずなが「年ごまかして、16歳とか言って」と言うシーンまで気付かなかった!!
設定では中学一年生。そりゃ、違和感があるはずだ。
#中学一年生ということは設定は13歳?
そう聞いても、中学生には見えず、ずっと違和感残ったのですが・・・
なずなオンステージ
良い意味でも悪い意味でも、ヒロイン・なずなに作品内の男子、視聴者である私も振り回された。
なずなが登場していないシーンは凡庸でつまらない(幼稚な感じ)
なずなが登場すると視線を独り占め!
なずなの表情や、目線に注意を奪われ、言葉を発すれば耳を傾け、発言の裏に隠された本音に考えを巡らせる・・・
これが”恋”というものだと典道の目を通して描いているのか、(典道に感情移入はできないのに)なずなに魅了されていくのが分かる。
同時に、中学生時代になずなのような同級生がいたら、そりゃあ男子は皆のぼせ上がるだろうと。
大人の女性には、「美魔女」「小悪魔」「魔性の女」など、男を振り回したり、狂わせる女が、子供時代はどうだったのか?
という着想でこの作品が生まれたのではないか?と言うと、うがった見方だろうか?
そう思ってしまうほど、この作品は“なずな”というキャラクターのために考えられた、男子たち、ストーリーに思えてくるのだ。
なずなは典道より一歩先へいく
中学生設定と聞いても、違和感があるほど、見た目は高校生っぽく描かれ、
特にヒロインなずなは、わざとなのでしょうが、少し色気があるほど魅力的に描かれています。
小学生高学年から、中学生になったばかりと言うと、女子の方が身長が高かったり成長が早い時期。
外見だけでなく、精神的に男子の方が子供っぽい世代。
そのなずなが転校前に、好きな男子と、今日一日だけでも一緒にいたいと願う。
典道も最初は自分の気持ちを素直に出せないものの、なずなの叫びと想いに引っ張られ、自分の気持ちに正直に行動していく。
終始、なずなが、典道を(意図的ではないにしても)リードしているように感じますが、なずなも最初は小心。
臆病だったからこそ、最初、典道を誘うことができず、50m競争で勝った方を誘うのだと自分の行動に理由を付ける。
典道も最初は、周りの目を気にしたり、照れくさくて素直な行動をしないが、タイムリープする度に一歩ずつ前へ踏み出している。
それでも、なずなは常に典道より精神的には一歩大人に。
ラストのキスシーンの時のみ対等になったという感じでしょうか。
興味深いのは、
なずなが望んだ典道との「二人切りの時間」なのに、その二人切りの会話や、逃げている間に見た母親が悲しんでいる姿を遠目に見て、なずなは更に成長し、駆け落ちなんてできないこと、家には戻らないといけないことを悟っていく。
なずなは終始典道より一歩先に進んでますが、二人とも成長している。
この辺の微妙な恋愛を含んだ感情の変化と成長を見事に描いてます。
短い時間だけど、この思春期の伸び代がある時期だからこそ、たった一日でも子供から大人へ成長していく。
そんな一瞬を切り取った作品。
ストーリーはそっちのけ!?
なずなを大人っぽく描いているせいか、典道はまだまだ子供に見える。
なぜ、なずなが典道の事を好きになったのか不明だし、典道のあんなガキっぽい対応を見ていると、どうして?という疑問しか浮かばない。
話が進むにつれて、典道はなずなに対する想いをはっきりさせ言葉にしていくという成長はするものの、行動については友達や親から逃げる選択だけで成長はしてない。
エンタメの主人公たるもの成長がなくてはならないと個人的には思っているのですが、
典道が困難を乗り切るのは全て”ガラス玉”頼りなのである。
まあ、なずなを連れて逃げるという行為は、思い切った行動と言えなくもないが、ほぼ無計画・・・
勢いで行動しているので成長しているようには見えないのだ。
さらにひどいのは、典道はなずなと二人で行動するようになってから、友達のことをこれっぽっちも考えてない。
祐介もなずなのことしか考えてない。
「恋は盲目」「これが恋」(ましてや中学生の初恋?)というのでしょうか・・・
冷静に物語を振り返ると・・・
典道となずなは、ラストお互いの気持ちを理解しハッピーエンドに見えます。
が、この日を境に典道と祐介の友情は壊れた??
何度も時間を繰り返したのに友情の回復は一切考えてないのである。
ここだけでみても、なずな小悪魔ここに極まれり!と言えるのでは ^^
念のため言っておきますが、なずなが悪いと言っているのではなく、
友情や周りの男を盲目にしてしまうほど、なずなは魅力的な女の子だよ、
と言う事を描いている作品なのでしょうね。
なずなオンステージ!
なずなに始まり、なずなに終わる。なずなの為の作品。
アニメのヒロインとしては申し分ないのではないでしょうか(笑)
タイムリープではなく、パラレルワールド?
タイムリープについても触れておきましょう。
不思議なガラス玉によって、時間を遡る典道。
時間が戻る度に少しずつ世界が変わっているので、タイムリープと言うよりパラレルワールドか?
典道が願ったことはその通りになるが、それ以外はどんどん現実から離れていく。
現実から離れていったのも典道の思い描いたことなのか、曖昧な考えだったからそのようになったのかは作品内では語られず、視聴者に投げかけられる形。
最初は風車が逆回転というちょっとしたことから、親友の祐介は乱暴になっていき、終いには花火が平らや花びらのような形に。
#三浦先生の胸まで平らになったのは「丸→平ら」変化の象徴??
祐介はガラス玉の影響で乱暴になったのではなく、単に本当に苛立っていったのかも。
祐介の性格が、典道が考えていたことになっていってしまったのなら、実はなずなも典道が考えていた性格になっていたと考えるのが自然。
そうなるとなずなが典道と二人切りになりたかったというのも、ガラス玉のおかげ??
などと考えると興ざめなので止めておきますww
これは「すこし不思議」系作品。
不思議な世界のことについては深く考えないようにしましたww
同様に、あのガラス玉は一体何だったのか、ラストはどうなったのか、説明不足な所は多々ありますが、
これも「すこしふしぎ」系なのだから、気にしません。
ラストシーンについて
さあ、ラストはどうなったのでしょうか?
私なりの推測です。
ガラス玉は、酔っ払いの花火師により尺玉と間違えられ、火を点けられ打ち上げられ、爆発。
#ここで、ガラス玉がどうして大きくなった?どうして爆発?!なんてヤボは言いっこなしですww
ガラス玉の破片はそれぞれの願いを見せながら、同時にこの不思議な旅の終わりを意味する・・・
典道は元の世界に戻ってこなかった?
いいえ、私は、戻ったというか、ガラス玉が壊れたことにより、全てが元に戻ったと思ってます。
根拠は、ガラス玉が砕けたとき、
空間を覆っていた膜のような物も崩れ、風車も元の時計回りに戻ったので、
元の世界へ戻ったと解釈しています。
さらに、解釈として
なずなは中盤以降、駆け落ちなんてできないと悟ってます。
単に、町を出て行く前に、典道との時間を過ごしたいと願っているのです。
そんななずなを強引にあの世界へ留めておく典道ではないと思うからです。
出席の時に典道がいなかったのは、単に遅刻しただけではないでしょうか。
もう少し夢のある推測をすると、なずなを追いかけていった、なずなとの思い出の地へ行っていた、という感じでしょうか。
そう、なずなは転校し、男子達はいつもの学校生活へ戻っていった。
これが私が解釈するラストです。
むしろ私としては気になったのは、なずなの父親が死んだ時のシーンに、父親の手にガラス玉があったこと。
なずなの父親もガラス玉を使って、過去を繰り返していたのでしょうか・・・
打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?
このタイトルは原作ドラマと同じ。
原作ドラマのコンセプトが「もしも」設定なので、このような「~するか、~するか」という形で統一されていたからメインテーマとは関係ないタイトルに。
タイトルに深い意味はないようですが、作品では花火を効果的に使ってます。
オープニングから始まり、別の世界へ行った時の変化の象徴、ラストはガラス玉を打ち上げ花火のように打ち上げ、爆破したのもシャレてますね。
そして、ラストシーン、典道となずなが見たのは、海の中からの花火。
これが幻想的で美しい!
同じ下から見るにしてもひねりを加えてニクいですね。
#息が続くのかよ?海の中で会話してない?なんて言うのは忘れるほどww
おわりに (『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』とは?)
抽象的で、分かりにくいセリフや展開が多いので
芸術的な作品、という見方をした方が良いのかもしれないですね。
私は典型的な恋愛ものだと思いました。
恋愛をしたことがない思春期真っ只中の中学生の二人。
ヒロインが町を出る最後の一日を、”繰り返し”という展開で幾つかのパターンを見せている。
なんどか失敗を繰り返して、恋愛はうまくいくもの。
経験を積むということを、日数が経過するのではなく、”繰り返し”というSFチックな手段を使って展開させているだけで、メインは恋愛だと思いました。
なので、論理的な展開や、明快な説明、伏線の回収を望んではいけません。
なんか、褒めているように聞こえないかもしれませんがww
#しかも低評価ですしねww
#評価が低いのは単発なのと恋愛以外の話がないからです。
恋愛以外の展開がないのは、作品の構成上、夏の1日を描いているから。
#しかも普通の中学生の日常
面白いのは、この世代特有の男女の成長の差がある、すごく一瞬を切り取っている所ですね。
切り取られた部分は自分で想像して補完する必要がある作品。
自分の思い通りにできる作品とも言えますね。
映像と、ラスト30分を見る為に、前半1時間は我慢!!
さすれば、すこ~~し温かい気持ちになれますよ♪
鑑賞後、やさしい気持ちになったのは事実。
恋愛もの好きにはオススメです!