こんばんは。時文(@toki23_a)です。
TVアニメ『デカダンス』最終話まで鑑賞しました。
原作はなく、完全新作オリジナルTVアニメ作品。
遙か未来の荒廃した世界を舞台に、超大型移動要塞デカダンスと未知の生命体ガドルとの戦いを描く、ネタバレ厳禁の巨大SFアクション。
未視聴の方は事前情報なしで見ることをオススメします。
もう少し知りたい方には、「はじめに」で少し内容について紹介致します。
では、TVアニメ『デカダンス』感想レビューをどうぞ。
- 「はじめに」は【ネタバレなし】
- 「感想レビュー」「おわりに」は【ネタバレあり】
はじめに
舞台は遙か未来のユーラシア大陸。
人類は未知の生命体ガドルとの戦いにより世界人口の9割を失った。
生き残った人類は対抗手段として、超大型移動要塞デカダンスを建造し、その中で生活していた──
幼い頃から戦士に憧れていた少女・ナツメは、対ガドル戦闘組織”かの力”で戦うのを希望するが叶わず。
装甲修理人として働くことに。
生き残った人類は「超大型移動要塞デカダンス」の中で生活し、移動しながら未知の生命体ガドルと戦い続けている。
SFジャンルの一つ、文明が崩壊し人類が絶滅しかけている「終末もの」「ポストアポカリプス」作品。
SF設定大好き人間なので、『デカダンス』の設定と導入を聞いただけで期待感が半端なく、視聴決定!
見始めると、色んな意味で期待以上の内容♪
作画はキレイでよく動き、特にバトルシーンが見応えあり!
未知の生命体ガドルとの戦いは、空中を飛び交うキレキレのアクション。
1話見ただけで惚れちゃいました♪
この路線で作り上げた作品を見たいほど!
そう思っていると、次に来たのが移動要塞デカダンス!?
要塞というからには、てっきり守りが基本と思っていたら・・・
これだけ巨大な要塞が移動し、中で生活している設定だけでワクワクするのに、まさかの攻撃方法(笑)。
その上、ネタバレ厳禁なSF設定──
作品世界に関わる大きなSF設定は、作品の見方にも大きく影響します。
が、SF設定は舞台装置に過ぎません。
見所は、終わりなき戦いの中で描かれる”人間ドラマ”。
人類が滅亡しかかっている終末期。
ルールに従い大人しく生きるか、危険を承知で抗って生きるか。
デカダンスの中にいたら安全かもしれない。
でも、それって本当に生きてるってこと?
今の自分に満足している?
本当は何をしたい?何になりたい?
「夢を見る少女」と「夢を諦めた男」の物語。
未知の生命体ガドルとの戦いが描かれる・・・”だけじゃない”展開をお楽しみ下さい。
そして主人公はナツメ・・・”だけじゃない”のです。
感想レビュー (以降、ネタバレ全開です)
『デカダンス』ストーリー概要
ストーリー概要が長くなってしまいました
御存知の方は読み飛ばしてくださいませ
序盤 (1~3話)
遙か未来、未知の生命体ガドルにより絶滅寸前の人類は、超大型移動要塞デカダンス内部で暮らしていた。
戦士になりたかった少女ナツメ(主人公)は、対ガドル戦闘組織”かの力”に入れず装甲修理人に。
諦めきれずにいたナツメがある日見たのは、現実主義で無気力な上司であるカブラギ(もう一人の主人公)がガドルを次々と倒す姿だった。
ナツメは装甲修理人として働きつつ、カブラギから対ガドル戦の訓練を受ける──
生き残った全人類は、デカダンス内部で生活。
万能エネルギー・オキソンを貯えておく、貯蔵用タンクに暮らしているから”タンカー”と呼ばれている。
未知の生物ガドルと戦う者は”ギア”と呼ばれ、デカダンスを守っていた。
タンカーは、ギアが戦いに集中できるよう様々なサポートをするのが仕事。
タンカーは、ギアの庇護の下、デカダンス内でおとなしく暮らしているのが当然だと思われていた。
主人公ナツメは、そんな生き方では満足できず、”かの力”に入り自分を変えたかった。
ナツメの真っ直ぐな思いが、もう終わろうと思っていた元上位ランカー戦士カブラギの心を呼び起こす──
2400年代後半、致死量を超える大気汚染により生物は生息できなくなった。
国という概念が滅び、人類が減っていく一方、サイボーグが増加。
主導的立場であったソリッド・クエイク社が世界を支配。
ソリッド・クエイク社は、ユーラシア大陸に巨大ドームを設置し、汚染された外気を遮断。
サイボーグ向けに、未知の生命体ガドル狩りを楽しめる、全てが本物の巨大娯楽施設「デカダンス」を開発。
絶滅危惧種の人類は、MMORPGに似たゲームの中でのNPC(ノンプレイヤーキャラクター)的な存在だった。
ナツメがいる世界はサイボーグ達のゲームフィールド。
ガドルの襲撃は、ゲームのイベント。
ガドルとの戦いは、ゲームのバトルパート。
デカダンスは、プレイヤーの拠点だった。
サイボーグのカブラギは、元上位ランカーの戦士。
だが、ある事件により昼は装甲修理人、夜は回収人として働いていた。
回収人の仕事はバグ(不適合者)を報告・処理すること。
人間には決して、サイボーグであることがバレてはいけない。(Web限定5.5話より)
回収作業を見てしまったナツメが処理されないことから、カブラギはナツメがバグであることを知る。
カブラギは、世界に不要だと思っていたバグに救われたことから、ナツメを戦士として育てることに。
中盤 (4~5話)
念願の対ガドル戦闘組織”かの力”に入れたナツメ。
早速、大規模な作戦が開始される。
ギアの斥候部隊により、ガドルの巣が特定されたのだ。
カブラギに今回の作戦に参加するには力不足だとの制止されるも聞かず、ナツメは作戦に参加する──
カブラギに助けられ、ガドルα、超大型ガドルを倒し、ようやくガドルを全滅させたと思った矢先、現れたのは新たなガドル群だった・・・
極寒の雪上戦
「デカダンス」史上、最大の戦いが幕を開ける
イベントはクリア不可能な難易度。
大多数のギアが殺され、デカダンスが絶望の淵に立たされるシナリオ。
カブラギは、作戦にナツメが参加するのを知り、システムの指示を無視して作戦に参加。
ナツメを救う為に、シナリオとは違う結末にしてしまう。
シナリオはどうあれ、ガドルを殲滅しゲームは次のステージへ。
システムの命令に背いたカブラギはバグ矯正施設に送られる──
ゲームプレイヤーは刺激を求める。
サイボーグでも同じようだ。
今回のイベントは、上級者以外は、ほぼ全滅の高難易度。
サイボーグは、死を迎えてもギア素体(アバター)を失うだけで実際にはケガすらしない。
が、タンカー(人間)は、一度死んだら終わり。
カブラギは、システムに背けば処理されるのを分かっていながら、ナツメを助ける為にイベントに参加する。
中盤 (6~7話)
デカダンスはガドルの襲撃もなくしばらく平穏だった。
──が、ネスト(ガドルの巣)を叩いた時から約1ヶ月後──
再びガドルの襲撃が始まり、デカダンスのタンクに大穴が開けられ、ガドルの侵入を許してしまった・・・
カブラギは、サイボーグのバグ矯正施設で、かつてのトップランカー仲間ドナテロと再会。
カブラギは、ナツメの様子を見に、偽造アカウントでデカダンスへログイン。
そこで、タンカーの犠牲を前提にしたイベントが進んでいることを知る。
ゲーム「デカダンス」のメンテナンスが完了し、イベントが再開されたのだ。
ナツメからカブラギ視点に。
6話から、まるで主役が切り替わったよう。
人類の人口すらコントロールしようとするシステムに、カブラギは不快感を抱く。
ナツメの呼びかけもあり、タンクの大穴はタンカー達自らの手で修繕を急ぐ。
諦めないナツメを見て、カブラギは安心する──
が、実のところ、強がっていたナツメ。
ギリギリのところで踏ん張っていたのだ・・・
カブラギは、大粒の涙とともに不安を口にするナツメを見て、システムが管理しているこの世界はおかしい、全てぶっ壊すと誓う。
ナツメが皆の協力を得てタンクの大穴を修理する姿を見て、自分がいなくても大丈夫だと感じたカブラギ。
カブラギはナツメに、恐らく別れを言うつもりで話しかけたのでしょう。だけど、根本を正さないと解決しないと気付いたのです。
終盤 (8~12話)
カブラギとナツメはガドル工場に乗り込み、GGS(ガドル・ジェノサイド・システム)を起動し、全ガドルを消滅させる。
ナツメは、これまで見てきた世界が全て作られたモノだと知り、カブラギすら信じられなくなる──
一方、密かに新たなガドルが生まれようとしていた──
この世界を壊す決意をしたカブラギは、ドナテロとジルの協力を得てガドル工場の動力炉を破壊、GGSを起動し全ガドルを消滅させた。
ところが、システムの管理下にないガドルが発生。
デカダンスの攻撃も効かなかった──
システムはドーム内の物質を全て消去し、ゲーム「デカダンス」のサービス終了を決定する──
2話にして明かされた真実──
ゲームの一部となっていた人間。
世界を支配し、ガドルとの戦いをゲームとして楽しんでいたサイボーグ。
9話でナツメが真実の一端を知る──
人間が信じてきた世界と、世界の真実が、ようやく重なり合う──
主役は移動要塞デカダンス?
「超大型移動要塞デカダンス」。
高さは3000m級と富士山八合目の大きさ(笑)。
山が動くとは正にこのこと。
人が住んでいるとは言え、なぜこれほど巨大な要塞が必要なのか?
その疑問は1話終盤で解明。
大きくしたのは、巨大ガドルを倒すため!?
戦う手段もまさかの物理攻撃!?(苦笑)。
普通のバトルものならありえないですが、『デカダンス』ではガドルもシステム支配下。
デカダンスのパンチで超巨大ガドルは崩壊するよう”調整されている”のでしょう。
司令室からの指示、変形過程は巨大ロボットものに通じるワクワク感が。
変形シーンと殴りかかる描写は圧巻!
想像して見て下さい。
富士山級の移動要塞デカダンスが、これまた富士山級の大型ガドルをぶん殴る!
その迫力シーンを目の前で見られる。
「本物の興奮」を目指し、CGとかではなく、実際に作り、動かし、戦わせる!
なんともバカげていますが、発想が面白い!
それに、そのデカダンスの中で過ごしている設定がいいですね。
絶滅危惧種の人間は軽んじられ、最下層のオキソン貯蔵庫に居を構える。
最初はよく分からなかったのですが、オキソンが貯まると、住居は水没!?
水没した時、一体どうやって生活をしているのか・・・知りたい!
タンカー達があの町でどのように過ごしているのか、生活ぶりをもっと見たかったです。
主役はSF設定?
「何の疑いもなく信じていた世界が、実は○○だった」という設定はSFやアニメ作品ではよく見られます。
『デカダンス』の場合、生きている世界は実際に存在する「リアル(現実)」。
ですが、サイボーグ側から見ると、現実は作られた本物の興奮を楽しむためのゲームフィールド、という世界を作り上げました。
この秘密を終盤どころか、2話で明かす大胆さ。
分かった上で、そのことを知らない人間(タンカー)達の行動をドキドキしながら見る。
種明かしされない作品なら、カブラギの行動が謎だけど正しかった、みたいな評価に。
『デカダンス』では、カブラギの判断も、ナツメの思いも知りながら見る歯がゆさ。
ありそうでなかった、逆転の発想と組み合わせが上手い!
◇◇◇◇◇
ガドル戦も、設定が練られてます。
タンクを担いで空中を縦横無尽に飛び回る戦闘シーン。
ガドルの血液が万能エネルギーである設定を軸とした、空中を移動する仕組みや、ガドルの倒し方の理屈。
飛び道具を使うが、近づかないと有効打にならない設定が上手し!
この設定により、空中を飛びながら緊張感ある接近戦が繰り広げられます。
後半、中小型ガドルとの戦闘シーンが描かれなくなったのが残念。
キレキレの空中戦をもっと見たかった!
主役は二人の人間ドラマ
SF設定は楽しいのですが、『デカダンス』におけるSF設定は、いわゆる舞台装置。
見所は、未知の生命体ガドルとの終わりなき戦いの中で描かれる、作られた世界の人間と、真実を知るサイボーグの”胸アツ”人間ドラマ。
SFとして「世界がどうなるのか」ではなく──
過酷な現実をなんとかしたいと真っ直ぐ進み続ける少女ナツメと、世界を変えることなどできない、生きることすら諦めていたカブラギが、どう生きていくのかが描かれているのです。
ナツメは強くなると同時に様々なことを吸収し成長。
カブラギは、全てを諦めていた状態から、ナツメに影響され、立ち上がっていく。
ナツメに背を押されカブラギが成長しているように見えますが、元々カブラギは芯に熱い心を持っています。
ただ、感情に従い行動しても、何も変わらないと諦めていた──
そこへ、感情に従い真っ直ぐ進むナツメが現れ、引っ張られていくのです。
性格は正反対の二人が、互いを知り、関係を深めていく。
「生きている」とは「生きてる実感」とは。
「生きる」のに「大切なこと」とは。
次第に相手を心配し頼りながらも、それぞれ決断し、結果同じ方向を向いていくのが胸アツでした。
2話早々で、世界観をひっくり返す”真実”を明かしたのは、立場や生い立ちどころか人間同士ですらない二人の人間ドラマに重きを起きたかったからでしょうね。
舞台は異色でしたが、人間ドラマは王道!
『デカダンス』とは
“デカダンス”はフランス語。
日本語で言うと「虚無的」「退廃的な風潮」を意味しています。
本作を『デカダンス』と名付けたのは、退廃的な世界の縮図を現しているからでしょうか。
- 時代が既に退廃的
-
大気汚染により僅かに生き残った人類。
文明は崩壊し、対ガドル戦用として造られたデカダンスの中で生活。 - 人間の考えが退廃的
-
人類は、外へ出ることを恐れ、ガドルと戦う人を変人だと決めつける。
そのくせ、ガドルからは守られるものだと信じている。 - 生活が退廃的
-
サイボーグは自由に生きているように見えて、実はシステムの管理下で行動。
夢や希望があるわけではなく、日々ゲームやアルコールで時間を潰している。
一見、滅びてしまいそうな世界。
しかし、ガドルさえもコントロールするシステムが、見事なバランスを取り、世界の秩序を保っている。
滅ぼさないようにしているが、決して繁栄もさせない?
これって、生かさず殺さず・・・
なるほど、デカダンス(退廃的)だ!
『デカダンス』の作品テーマ
作品のテーマは──
社会のルールであるシステムに
逆らえば排除
従えば、生活も命も保証される
── それは人にとって幸せなことなのか? ──
と言った所でしょうか。
退廃的な世界の住人は、すっかりシステムに教育され、反抗しなくなる。
システムに異議を唱える人は、煙たがられる。
ナツメは、「何も望むな」というなら「死んでるのと同じ」と言う。(1話)
マイキーは、「代わりがきく存在になる」のを拒み唯一になりたいと言う。(2話)
クレナイは、デカダンスに閉じ込められていると生きていることを忘れると言う。(4話)
共通しているのは「自分の生き方は自分で決める」。
退廃的の対義語に当たる言葉は「健全」。
人にとって当然の選択の自由がここにはない。
『デカダンス』は、生きている実感を得たい人達の物語なのです。
SF設定で気になる点
『デカダンス』にとってSF設定は舞台装置で、描きたいのは人間ドラマ。
それは分かっているのですが、SF設定が面白いだけに、気になる点が(苦笑)。
「サイボーグ」はどういう存在?
人間の形をした機械は幾つか種類があり、呼び方も違います。
有名所はロボット、人型ロボット、アンドロイド、サイボーグ。
- ロボット
-
人の代わりに何らかの作業を行う機械
- 人型ロボット
-
外見を人間に似せて作られたロボット(機械)
- アンドロイド
-
人造人間。
※人型ロボットとほぼ同じ。より精巧なモノをアンドロイドと呼ぶことが多い - サイボーグ
-
人工臓器を体に埋め込むなど、体の機能を人工物に代替させた存在
人型ロボットとアンドロイドの定義は実は曖昧で、最終的には作者に任されます。
が、サイボーグは明確です。
サイボーグは、人間が、体の一部を人工物に代替した存在。
だからと言って、義手の人はサイボーグか?というと違います。
体が、どこまで機械化されるとサイボーグと言うのか、これまた曖昧です。
では、『デカダンス』に出てくる「サイボーグ」とは一体どういうモノか?
『デカダンス』のサイボーグ本体の姿は人間とは違う形状。
いや、形はむしろロボットに近い?
でも、明らかにそれぞれ意思を持ち個性があり、中身は人間そのもの。
確かにサイボーグ──
でも『デカダンス』のサイボーグ達は、人間だと言う意識も記憶もないのです。
悩んでいると、公式HPに説明が。
元々は人体の一部を機械化した人間だったが、徐々に範囲が全身機械化へ流れていき、呼び名のサイボーグだけが残った。長い歴史の中で初期のサイボーグとは別の存在になっている。
by『デカダンス』公式HP「デカダンス用語説明 」より
さらにWeb公開5.5話でカブラギ誕生シーンを見て、ようやく理解。
サイボーグという呼び名が残っているだけで、全て人工物からつくられているのです。
先に上げた定義で言うと、アンドロイド、ロボットに近いですね。
ただ、中身はとても人間らしい。
それどころか、タンカーよりも人間くさい意思や感情を持つのでサイボーグという呼び方にしたのでしょう。
私は公式HPも5.5話も最終話見るまで見なかったので、最後まで、カブラギ達は脳だけは人間で、人間だったことを忘れているだけだと思ってました(苦笑)。
だって『デカダンス』のサイボーグは感情を持ち、誰かを好きになったり嫌ったり嫉妬し、娯楽に興味を持ち、戦闘に興奮し、限界を超える(成長?)。
見れば見るほどロボットやアンドロイドではなく、人間寄り。
人間よりも人間らしかったのです。
最後まで引っかかってしまったので、本編でも説明が欲しかった・・・
「あり得る」恐怖に感じられない
SFの面白さの一つは、「実際に起こりえるかも」という恐怖。
『デカダンス』は人類が致死量を超える大気汚染を発生させ、地球上に生物が生息することができず、サイボーグに支配された世界。
AIが人間を支配する世界はSFではよく描かれているテーマ。
現実でも、AIが人類の知能を越えるシンギュラリティは、よく言われています。
『デカダンス』は、AI(システム)だけでなく、物理的にもサイボーグが支配する世界。
現実には、動きの面でここまで精巧なサイボーグを作れるのはまだまだ先でしょうが、ありえないわけではない。
大気汚染も実際にあり、地球上で生物が生きていけない未来があるかもしれない。
そんな時、全てを統治するシステムやサイボーグが、合理的な判断をして人間を管理下に置くこともありえます。
何百年も生き続けたサイボーグが、何のために生きているのか忘れ、人類を軽んじていくこともあり得るかも。
#『デカダンス』のサイボーグは、人造人間ではないので、人間の記憶はなし
#公式HP「デカダンス用語説明 」より
起きる可能性が考えられるのに、現実の危機として感じることができず、全く別の世界、フィクションというか、ファンタジーに見えてしまいました。
大きな要因が、サイボーグの描き方。
カートゥーン風に描かれたサイボーグが、現実ではなく虚構、それどころか子供の世界に見えて現実感が感じられません。
物語としては面白いのですが、「起こりえるかも」という怖さを味わえなかったのが残念。
#物語としては面白いですよ!
「デカダンス」は人類を絶滅させないため!?
『デカダンス』のSF設定は舞台装置と言いながら、色んな要素を見せてくれました。
こういう所がSF作品の面白さですよね!
最後に、作品内ではあまり触れられてない点について考察してみましょう。
ゲーム「デカダンス」は何のために造られた?
ソリッド・クエイク社が全人類の所有権を持ち、サイボーグに支配された世界。
作品内でも、サイボーグは人間を「絶滅危惧種」「見世物」「下等生物」扱い。
ソリッド・クエイク社にとり、人類は不要なのでしょうか?
私はそう考えているようには思えませんでした。
サイボーグ達は人類を下に見てはいましたが、決して奴隷でもなく、人間を意味もなく殺したり、傷つけたりはしていなかったからです。
少なくともデカダンスが製造された当初は、人類を絶滅から守ろうとしていたのではないでしょうか。
なぜなら、退廃的(デカダンス)であるものの、人類はデカダンスの中で生きていくことができるシステムになっているからです。
致死量レベルの大気汚染から人類を守る
ユーラシア大陸に造られたゲーム「デカダンス」は巨大ドームで外と空気を遮断し、大気汚染からも守る役目を果たしています。(5.5話より)
サイボーグは大気汚染の世界でも生きていけます。
ドーム内を大気汚染から守っているのは、生物のため。
#ガドルを育てるためとも言えますが(笑)
食料とエネルギー問題
ガドルの肉は人間の食料に、血液は万能エネルギーであるオキソンに。
ガドルはデカダンスを襲い、人間の命を奪う危険な存在である一方、人間が生活していく上で重要な食料と生活するためのエネルギー源となっているのです。
◇◇◇◇◇
この二つの事実と、システムが言う「愚かな歴史を繰り返してはならない」ことから、一つの仮説が立てられます。
ゲーム「デカダンス」は、サイボーグのためではなく、人類を合理的に管理するために造ったのではないか?
致死量を超える大気汚染で文明は滅び、人類は絶滅寸前。
しかし、人間を自由に行動させると、同じ過ちを繰り返すかも・・・
そこで、ソリッド・クエイク社は合理的に管理する方法を生み出した。
それが、ゲーム「デカダンス」。
対策➊:真実を隠す
- 人類の反発を抑えるために真実は教えず、作られた世界を信じ込ませる
- 真実に近づいた人間は排除
対策➋:1箇所で管理
- ドームの外や、ガドル工場を探らせないために1箇所に集め行動を管理
- 管理しやすいようデカダンス内部に住まわせる
- デカダンス内部に留まらせるために、外には未知の生命体ガドルを放つ
- ガドルの強さは、普通の人間では勝てず(逃げられるから)、かと言って全滅させるような強さにならないよう調整(基本はデカダンス内にいれば安全)
- デカダンスに収容できない人数になったら間引く(7話)
対策➌:食料とエネルギーはガドルで
- 人間に必要な食料はガドルとして供給
- 人間の生活と、サイボーグ、デカダンス稼働に必要なエネルギーはガドルの血で供給
- 大型ガドルを食料にすると過剰になってしまうので、倒されると溶ける
対策➍:ガドル退治はギアに
- ガドル退治は本物の刺激が味わえるゲームとしてギア(サイボーグ)に
- ギアを人間より強く設定し、ギアがいなければ人類は生き抜けない強さにガドルを調整
◇◇◇◇◇
これで、人類を繁栄も滅亡もさせないシステムの出来上がり。
ゲームを回す(ガドルを倒す)ことにより食料やエネルギーを得られると言うのが上手い!
人間個々は悪くはないが、繁栄すると、同じ過ちを繰り返すと考えている。
だから適正人数でキチンと管理すれば絶滅はしない。
人類を絶滅させない程度に”保護”するには、ゲーム「デカダンス」は実にうまくできたシステムなのです。
これが、システムが出した人類が滅亡しない最適解だったのではないでしょうか。
◇◇◇◇◇
ただ、この仮説では説明できないことが・・・
倒すことができないガドルΩが現れた時、システムは空間圧縮装置でドーム内の全てを消去する決定をしました。(11話)
これでは、人類は滅亡です。
システムは人類を存続させる気はないのでしょうか?
では、システムは何のために稼働しているのでしょうか?
システムを守るため?
サイボーグを守るため?
地球を守るため?
どれも、しっくりしません。
私は人類の種を守るためにシステムは動いていると信じたい(苦笑)。
となると・・・
私はドーム外にも人間がいると思ってます。
人間がいなくても、人間の元(受精卵、遺伝子等)があるのでは?
#いわゆる、人間のバックアップ(記憶は継げません)
#クローンという手段もありますね
それを使えば、一度リセットしても、一から人類を生み出せるのではないでしょうか。
それこそ、リアル育成ゲームのように・・・
こういった考察はSF作品ならではですね。
これだからSFはやめられない!
おわりに (『デカダンス』とは)
最初、未知の生命体ガドルとの戦いを描く本格SFだと思ってました。
が、1話終盤で”SFアクション”に。
中盤(4~5話)辺りになると、アクションよりも人間ドラマを重視していると気付く。
終わってみると、思った以上の人間ドラマ。
おっさんカブラギの熱さにやられました(笑)。
アクション、裏設定、熱い展開、これらの要素をバランス良く描き、最初から最後まで興奮と驚きを与えてくれる超大作。
随所に戦闘シーンを挟み、転換点も多く、テンポも良し。
#おかげでストーリー概要が厚くなりました(笑)
終始、先が気になって仕方がない作品でした。
“あえて”物足りない点を上げるなら。
私は人間側に感情移入したので、物語後半、人間側が蚊帳の外だったこと。
せめて終盤、人間の活躍シーンをもっと入れて欲しかった。
色んな意味で、全部カブ様に持っていかれましたから(笑)
◇◇◇◇◇
音楽良し、映像良し、声良し、ストーリー良し。
ワクワクしながら堪能させてもらいました!
人間ドラマとしての完成度が高いので続編は難しいかもしれません。
が、明かされなかった設定を活かして、前日談、後日談を見たいですね。
個人的にはクレナイさんが魅力的だったので、スピンオフでも良いので、カブラギとの過去話が見たい!
以上、TVアニメ『デカダンス』の感想レビューでした。
超長文にもかかわらず、最後まで読んで頂きありがとうございます。
ではでは。
異色ではなく、正統派